15分押して開始
55人らしいね


“ここの大学の空調はいまいち”

“集中講義って非人道的”

最終課題のための時間は講義内で取ってくれるらしい


  • WordかGdocで400文字くらいで哲学的対話内容と感想を置く
  • 総合的な学習/特別活動の実践事例を調べてまとめて800字くらいにする(出典必要)

最終課題

  • 総合学習/特別活動のいずれかを選択
  • 15分程度でまとめて発表
    • 事例
    • 背景
    • 方法や評価
  • 画面共有しつつやる

→事実

  • 事例についてのよいところ、悪いところを評価する

→意見

  • 自分だったらどのように構成するのかを15分程度で発表

グループの全員から10分程度質問とフィードバックを受ける

後日最終的にフィードバックをうけて加筆/修正したものを9.14までに提出

グループの人の発表を聞きながら取ったメモも提出する必要あり


ケーススタディは自分でやってねということらしい


総合的な学習の時間とは?

  • かつて何をしていた?
  • ここの人たち割とちゃんとやっていそう
  • キャリア教育との親和性
  • 課外活動との親和性
  • 探究学習

教科教員も総合的な探究についての扱いに悩む
→仕方ないから埋めるみたいなところも

LHRみたいな使い方をすることもあるし、別にレギュ違反ではない

特別活動との区別が難しい


文科省としては高校生にもある程度の研究力をつけてほしいと思っているらしい
→厳しすぎるよねという話

いいところもあれば良くないところもある

高校はいいとして基本的に地域で決められる(ことになる)公立小中については均一なものを求めてもいいと思う


現在の学習指導要領は2020あたりのやつ、10年ごと更新

  1. 知識技能
  2. 思考判断表現
  3. 学びに向かう力人間力

1はいいとして2や3はどうやって教える?身に付けさせる?評価する?

主体的、対話的で深い学び
カリキュラムマネジメント(教科目標の設定)

教育学はマジックワードで溢れている

主体的に←授業中に研究活動を始めるやつは?
アクティブラーニング
対話的←
深い←

総合については学校裁量が大きい
→学校ごとの特色を出せる一方負荷が大きい


総合的な学習の時間(小中)→総合的な探究の時間(高)

調べ学習なのかその先なのかの違い

はじまりは2000年、ゆとり教育の時代

いわゆる学校が荒れていた時代ではじめはなかなか余裕がなかった


総合は音楽や美術と同じくらいの時間数をかけている

学校が地域や学校、児童生徒の実態に応じて、教科の枠を超えた横断的・総合的な学習、探究的で協働的な学習、社会に開かれた教育課程であること

  1. 日常生活や社会に目を向け、生徒が自ら課題を見つけて設定する。
  2. そこにある具体的な問題について、情報を収集する。
  3. その情報を整理、分析したり、知識や技能に結びつけたり、考えを出し合ったりしながら、問題の解決に取り組む
  4. これからの探究の過程で、明らかになった考えをまとめて表現し、そこから新たな課題を見つけ、さらなる問題解決を始めるといった学習活動

“実態に応じて”←これによって特別活動みたいな使われ方につながる

教科の枠を超えた←基礎学力の軽視、行ったとしても教科と連携させるのは難しい

1~4まででやれるのって2くらい
特に小学校や中学校では1は教員から与えるケースが多い、3以降まで行くのは難しい

高校では名前が変わって基本3-6単位、2単位まで減らしてもいい

総合的な学習に対して課題解決を重要視、自分の生き方やあり方と不可分な分野

見た目やパッケージングの仕方勝負ではない、課題設定の方に軸がある

  1. 特定の教科・科目にとどまらず、横断的・総合的である
  2. 複数の教科における 考え方を統合的に働かせる
  3. 解決の道筋がすぐには分からない課題や、唯一の正 解が存在しない課題に対して、最適解や納得解を見出す

本当にやりたい問いを見つけたら子どもは勝手にやり始めるのだからもっと問題設定に重きを置かせたい


カリキュラムマネジメントとして、学校側で特色を踏まえたうえでどのような資質や能力を醸成するのかを明確にして目標を設定する必要がある


自分は何者かを示さないといけない時代


評価の負荷が高い

  • 活動の場が広すぎる
  • 活動の内容も動的
  • 個人や集団の変化を捉えるのが難しい
  • 評価の観点や基準を明確にできない

評価手法

  • 自己評価
  • 相互評価
  • 教員による評価
  • ルーブリック
  • ポートフォリオ

成果物によって評価するのは非本質的になってしまう

ルーブリック

  • あらかじめ評価の観点と基準を明確にしておく仕組み
  • 評定(点数)ではなく、レベル記述で達成度を段階的に示す
  • 総合・探究は評定による評価を行わない(道徳などと同様の扱い)からこそ有用

ポートフォリオ

  • レポートや作品を時系列につなげ、そこにコメントを添えていく評価
  • 活動が動的で変化し続けるからこそ、プロセス(軌跡)ごと残すのが本質的
  • 「個人や集団の変化を捉えるのが難しい」を補う意味がある

実施上の主要課題(6点)

主要課題内容・問題点求められる対応
時間確保・体制整備分掌横断と人的資源の不足(外部人材)、発表会等の運営負荷体制づくり・外部人材の活用
活動のイベント化・外部委託依存一過性の体験に偏り、探究の連続性と問いの再生成が弱まる運営・評価設計の見直し
評価の妥当性・信頼性観点・証拠・判定の連動が弱いと形式化するルーブリック等で観点を明確化
テーマの固定化と学際性の不足生徒の関心から出発する再課題化が弱い知的自律性を育てる課題設計
リスクマネジメント校外連携での安全配慮・個人情報・倫理調査同意などの設計が不可欠
入試・調査書との接続成果の記述や選抜情報との接続証拠に基づく記録整備

デューイの探究(inquiry)理論(JOHN DEWEY 1859-1952)

  • 探究とは「不確定な状況」を「確定した状況」へ、コントロールされ方向づけられたやり方で転換すること
  • 要するに:モヤモヤした状況を、要素の関係がハッキリした一つのまとまりに変えてしまうこと

探究の5段階

  1. 先行条件:不確定な状況(迷い・混乱)
  2. 問題の設定(Institution of a Problem)
  3. 問題解決の決定(Determination of a Problem-Solution)
  4. 推論(Reasoning)
  5. 事実−意味の操作的性格

つながる概念

  • PBL(Project Based Learning)/“Learning by Doing”
  • 主体と客体の相互作用の原理
  • 「生き方としてのデモクラシー」

問題設定がきちんとしていないといけない
地域を活性化したいというだけではダメで、なぜ若い人がいないのかとか、ただ混雑しているのと活性化しているのかをどう区別できるのかみたいにしないといけない

どうしてそれをするのかという同規模部分からの連続が浅いという問題がある

話し手の聞き手の熱量の均一さ

ひとつひとつが連続していないからx+=1でつまづく


哲学対話とは?

道徳とかでも取り入れられている

特定の価値観を押し付けないでテーマを扱うのは難しい

ex) 家族を大切にするってどういうこと?家族の範囲はどのあたり?

道徳ではスタンダードになりつつある、総合学習でもこの考えは取り入れられるのでは

哲学対話

  • ふだんはあまり考えないけれど大切なことを考える
  • 調べてもわからないことを問いを重ねて考える(答えがない)

すべてのことに対して一定の答えがあると思いがちだけど、実際自分の中での選択には答えがあるわけではない

詰め込み教育の是非はさておき指導要領では思考や主体性を求められている

そこまで堅いイメージを持たなくてもいいらしい

答えが正しいかはさておき答えがあることで安心する、疑おうとしない
自己啓発本とかマッチングアプリの必勝法とか、答えがないことに対して答えを設置して人がすがりついている例は多い

哲学対話は関心を高めたり自分自身に対して考えるトレーニングになりうる

社会科学や自然科学的な題材は前提知識の差がある場合があるが、哲学的な部分については全員に接点がある割に明確な答えを用意している場合がない、専門家ではないのに議論できる、能力的にフラットになる

子どものほうが哲学的な対話は得意

ネガティブ・ケイパビリティと非認知能力

ネガティブ・ケイパビリティ←答えが1つではない状態に耐える力、不安定に耐える力

ネガティブ・ケイパビリティがない状態になるとカルトとかみたいな答えを完全に与える形式にのめり込んでしまう

たとえば体育の授業はなんである?とか浮気はいいことかどうか?とか絵の上手い下手とは?とか、身近なテーマでもいい

将来的な指針みたいなものが定まることは拍車をかけることにつながる

どうやって問いを考える、とかどうやって考えるのかということを教えない

なぜ日本人はシャイなのか?とか←日本人とは?シャイとは?質問が粗い、主語の大きさや文化論自体も危うさがある
部下が従うようになるにはどうすればいい?とか←人を従わせるのがいいことという前提、どこまで従うならいいのか?
人生で成功するためにはどうしたらいい?とか←成功とは?といった問いは危うい問い

問いの解像度

環境問題についてどう考える?

→人間の豊かさと自然環境は両立できるか?

の方が答えやすい

知っている人の話を聴く中には考えるという行動は薄い

どうやって問題を立てる?

テーマは古文

How/WhatWhat/Why/Should
ググってわかる
(答えが単純)
古文はどう読む?
外国の古文はどんなの?
なぜ古文が義務教育に入った?
古文とはなにか?
ググってわからない
(答えが複雑)
どうすれば古文ができる?なぜ古文を学ぶべき?
古文を学ぶのはなんのため?

ファシリテーターの声掛け

よい

  • そもそも~って何?
  • どういう意味?
  • それって本当にそう?
  • それっていいこと?
  • そうあるべきこと?
  • どうしてそうなの?
  • その理由は?

よくない

  • それを実現するためには具体的に何をしたらいい?
  • どうして人は~(棚上げや心理的/自分じゃないことについては考えられない)
  • どうして日本人は~(検証ができない/主語や文化論の危なさ)

なんで私が怒ってるかわかる?←問いではない

話しにくいことと話すべきではないことは異なる

教員はファシリテーターであるべき論


ファシリテーターがすること

ルールが守られるか気を配る
問いかける

話の流れを整理する
新しい観点を投げかける

話を関連付ける
極端な例を出す
基準を問う
言葉を区別する

沈黙はあってもいい
話の流れを整理したり相互に関連付ける
新しい観点や極端内見を上げる
全員に意見を聴く
パスしてもいい、評価されないようにする

聞き手の姿勢

はじめは共感的に受け止めるが、1から10察したりはしない
意図のわからない発言は丁寧に解きほぐしたり想像したりしてみる

いっけんわかりやすいじょうしき(評価されようとしている?)ことに突っ込んでみる
ふだんなら納得しかけるところをあえて逆張りする

→答えが複数あるからこそ逆も正しいことがありうる

教育現場には圧力が多いからうまく調整してあげる必要がある

上手じゃない問いが出てきたら進行役が捻じ曲げる

クローズドだったら多くの人が言っていることは全て事実なのかみたいに持っていく

どうしたらお金持ちになれるか→人生はお金さえあればいいのか?につなぐ

……とか


フレイレの banking education論

とはいえ自分と違うものに対して強制的に触れることは一定程度必要なのでは?というアクティブラーニング批判もある

ハワイのP4C(Philosophy for children)
What are there colors?
what are friends for?
what is nothing?

哲学的な分野では答えがないことによって前提の差が小さくなり、心理的安全性が出るらしい


主体的でよい学びとはなにか?

2周

親からの影響

詰め込みは受動的ではありそう

発言は必ず主体的?

授業は主体的じゃない?

最低限知らないといけないラインはあるのかも

補助があっても主体的になる場合

広い学び

よい学びって?

→達成感があるかどうか、部分の問題かも

好奇心とか動きとか

型にはまらない

何も考えないでできることは主体的?

義務感、

なくちゃいけない、開放感

主体的なものは終わらない

頑張る

主体的であることを見るのは難しい

頼るのは主体的じゃない?