特別活動
→そもそもなんなのか
学校の勉強以外の部分
科目ではないが正規の課程ではある
→マネジメントは教職課程ではない
- 児童生徒の望ましい集団活動を通して人間形成を図ろうとする教育活動
望ましい集団活動
教員のキャパ的な限界はある
教科外教育は
- 道徳
- 小学校の外国語
- 総合
通信制でも特別活動をやらないといけない
内訳としては
- 学級活動/LHR
- 児童会や生徒会
- クラブ活動
- 学校行事
- 委員会
児童生徒学生の区別
小学校では特に異年齢の子どもとの関わりを重視する
→近現代では異年齢との関わりや多様な人との関わりは薄くなった
ところで、年齢だけで区別することの意義はあるのか?
時間数は多くないけど思い出の中でのウエイトは大きい
教科書はないし、特別活動は成績では評価されないが実質的には評価されてしまう
日本では教育課程全体が教員によって計画/デザインされて行われるべきとなっている
→全てにゴールと理由が必要
デューイとの対立構造
効率の追求によって生まれた構造でなんとかなるのか?という問題は残る
元々は自由研究→特別教育活動の名前に変わった
Tokkatsuの名でも注目される
学校の教科以外の機能はどう担うのかという問題
不登校とか養護教諭も横文字になっている
不登校やいじめの問題に対しても特別活動が注目されている
なんとかして学校に適応させようとしている
→辛いから学校にいかないという問題に対しては有効になる可能性がある
話し合いの場作りも教員の役割
学級活動やLHRは週1コマが求められる
目標を書くやつとかは結局やっておけば自己実現の扱いになるようになるということで形骸化してしまう
生徒会とか
クラブも多いけどあんまり覚えていない
→そもそも時間数が少ない
部活は元々は必修クラブ活動の代替措置の側面がある
→1999年に廃止
学習指導要領に部活は入ったが教員の負荷を軽減するための工夫も増えている
特別活動は評定をつけるわけではないが評価はしないといけない
当然難しい
子どもの自治活動
自分で決めて自分で運用する経験をいかにして作るのか?
実践記録を読む
話が通じる?
好きにできる?
思いやり?
相手の立場になって
集団のために
集団の圧力が少ない?
→流れを作る人がいると圧力?
望ましいというのを決めるのは誰?
学校現場である以上世間体の側面を全否定するわけにはいかないけど、基本的には内部の人間?
本音
集団として良くても集団の方向づけをする大人は必要
役割があると居心地が良くなる
全員が同じ形になるのか?
慣れてる、誰とでも話せる
望ましくないってどういう?
- いじめ?
- 他人事?
- 言うことを聴く?
グループ5